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最高裁判所第三小法廷 昭和52年(あ)900号 決定 1977年11月04日

本店所在地

長野県北安曇郡池田町大字池田二八九九番地

勝家建設株式会社

代表者代表取締役

勝家淳夫

本籍

長野県東筑摩郡生坂村大字北陸郷一三一五三番地イ

住居

同 北安曇郡池田町大字池田二八九九番地

会社員

勝家幸盛

明治三二年一二月四日生

右の者らに対する法人税違反各被告事件について、昭和五二年三月三〇日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、各被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人中島万六の上告趣意のうち、憲法三七条一項違反をいう点は、記録に照らし原審の審理が著しく遅延したとは認められないから、所論はその前提を欠き、その余の点は、事実誤認の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 江理口清雄 裁判官 天野武一 裁判官 高辻正己 裁判官 服部高顕 裁判官 環昌一)

○昭和五二年(あ)第九〇〇号

被告人 勝家建設株式会社

同 勝家幸盛

弁護人中島万六の上告趣意(昭和五二年六月二三日付)

第一点 原判決は憲法第三七条第一項所定の迅速な裁判の規定に違反する。

一、憲法第三七条一項の保障する迅速な裁判を受ける権利は、憲法の保障する基本的人権の一つであり、右規定は具体的な刑事々件に付ても、著るしい審理の遅延の結果、迅速な裁判を受ける被告人の権利が害されたと認められる異常な事態が生じた場合には、最早や当該被告人に対する手続の続行を許さず、直ちにその審理を打切るという非常救済がとられるべきことを認めた趣旨の規定であると解すべきである。

けだし刑事々件について審理が著るしく遅延するときは、被告人としては長期間罪責の有無未定の儘放置されることにより社会的不利益を蒙るばかりでなく、当該手続に於ても被告人又は証人の記憶の減退、喪失、関係人の病気、死亡、証拠物の滅失等を来たし、被告人の防禦権の行使に種々の障害を生じ、刑事司法の理念である、事実の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用するとの目的が達し得られなくなるからである。(昭和四五年(あ)第一七〇〇号、同四七年一二月二〇日最高裁大法廷判決)。

二、翻って本件を見ると、

1 本件は昭和四八年四月二一日長野地方裁判所に於て各被告人に対し有罪判決の言渡があり、之に対し各被告人から東京高等裁判所に控訴の申立を為し、同年七月一二日迄に控訴趣意書を提出すべき通知書が発せられ、これに基き弁護人中島万六は同年七月一日附を以て控訴趣意書を発送し、同書面は同月三日右裁判所に到達したが、以後昭和五二年三月二日の公判期日迄実に三年八ケ月の長きにわたり右裁判所は全く本件の審理を行わずに放置したのである。このことは被告人、弁護人に対しては短期間内に控訴趣意書の提出を義務付け、この期間を徒過するときは決定を以て控訴を棄却すべき旨規定する法(刑事訴訟法第三八六条、第三七六条、刑事訴訟規則第二三六条)の精神から考えて、三年八ケ月の歳月は著るしい長期間と謂うべく、原審は著るしく長期間に亘り本件の裁判を遅延せしめたものと謂わねばならない。

2 原審が右三年八ケ月の期間内にもっと速やかに本件の公判期日を開き得なかった事情があったか否かは不明であるが、本件は特に複雑難解な事件ではなく又記録も閲読研討に長期間を要する程のものではない。殊に近時東京高等裁判所刑事部の取扱件数からみても右の様な長年月に亘り公判を開き得なかった合理的理由は到底見出し得ないのである。

3 更に本件審理の遅延により被告人等の利益は著るしく害せられた。即ち

イ 被告会社代表取締役であった勝家昭雄(以下勝家と云う)は昭和五〇年七月三〇日死亡した。

被告人、弁護人は控訴趣意書記載の事実を立証する為原審に於て右勝家を証人として申請し、被告会社の経営並びに経理の実体、被告人の不正行為乃至法人税逋脱の意思の不存在等の事実を立証せんと予定していたが、不当なる審理の遅延中勝家は死亡し終にこれが全く不可能となって了った。

ロ 被告人勝家幸盛(以下被告人と云う)は病状が悪化し公判廷に出廷出来なくなった。

同被告人は高血圧症の為予てから療養中であったが、審理遅延中病状が悪化し原審第一回公判にも出廷出来なかった。若し本件審理が速やかに行われて居たならば、同被告人は公判廷に出廷し自ら権利を護ることが出来たであろう。

ハ 被告人及び関係者の供述調書に付てはその任意性が疑われる事実が多々あるが、既に取調当時から長年月を経過した今日に於て、証人の記憶は喪われ真実を発見することは極めて困難であり、その点に関する正しい判断を仰ぐことは殆んど不可能となり、被告人等の正当な権利は故なく奪われて了った。

以上の如く被告人等は訴訟上はもとより社会的にも多大の不利益を蒙ったものと謂うべきである。

4 以上の次第で本件は既に憲法第三七条第一項の迅速な裁判の保障条項に明らかに違反した事態に立到ったのであるから、原審は自らの責任に於て直ちに審理を打切り、無罪又は免訴の判決を言渡すべきであるのに、これを為さず被告人等に対し控訴棄却の判決を言渡したのは違法である。

第二点 原判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、原判決を破棄しなければ著るしく正義に反する。

一、原判決は、被告人は被告会社の業務を統括する従業者であるとの事実を認定し、被告人等の刑事責任を肯定している。

1 然し乍ら、被告人は昭和二、三年頃から土木請負業を営む様になり、昭和二九年二月六日土木建築請負を目的とする被告会社を設立してその代表取締役となったが、昭和三七年一月二六日之を辞任し長男の勝家に代表取締役を譲り、以後取締役の地位も有せず主ら現場見廻りの仕事をしていた(被告人に対する大蔵事務官質問顛末書、昭和四二年三月二九日附第三問答。被告会社登記簿謄本)。

2 本件事業年度当時に於ける役員は社長が被告人の長男勝家、専務が二男淳夫、常務が長女の夫平田喜代司であり、その他三男信夫は現場監督、二女の夫藤森英夫は営業担当、長女幸子、二女つゆ子を始めその他一族の者はすべて現場雑用、掃除、電話取次等の業務に従事して居り、名称は株式会社であってもその実質は同族会社で、同族が一丸となって会社の為に全力を挙げて働いている会社であった(証人勝野千弘〔以下勝野と云う〕第七回公判速記録一九枚目以下。勝家第一五回公判速記録一六枚目以下)。

3 被告人は社長の地位を退いてからは会長と呼ばれていたが、もとより取締役でなく、何等の実権も有せず、毎日早朝から現場を廻って人夫の激励と監督に当っていたゞけで、経理には殆んど関係しなかった。被告人は計数に暗く経理係の勝野から説明を受けることがあっても、その意味内容が理解出来ない人で、経理は一切勝野と合津税理士に委せられていた(証人高坂公二第六回公判速記録一四枚目以下、二六枚目以下。証人勝野第一四回公判速記録五枚目以下。証人深沢歌枝第一四回公判速記録五枚目以下)。

4 以上の通りであって、被告会社の業務は本件当時、被告人、勝家、淳夫、勝野等の合議により運営されて居り(被告人第一五回公判速記録二枚目)、被告人は会社に対してその業務を統括する地位にもなく、又実権も有しなかったのに拘らず、原審は被告人にその権限があったと認定し、本件刑事責任を認めたことは重大な事実の誤認であり、この誤認は判決に影響を及ぼすこと明らかである。

二、原判決は被告人が被告会社の業務に関し法人税を免れ様と企てその犯意の下に不正の行為を行った事実を認定し、被告人等の刑事責任を肯定している。

1 これを被告会社の経理の実情に付て考察すると勝野は昭和三七年頃から会社の経理一切を委されたが、簿記を学んだことがなく、企業会計につき系統的知識を有たなかったので、計理事務は前任者の事務を引継いで見様見真似でやっていた有様であった(証人勝野千弘第一四回公判速記録二枚目以下、第七回公判速記録四枚目以下)。

2 又会社から経理、決算、税申告等の事務を委嘱されていた税理士合津輝嘉は法人税出身でないとの理由をつけて自らは全く被告会社の経理事務を取扱わず、専ら事務員高坂公二に之を担当させ、又被告会社の社長たる勝家や被告人にも会ったことがないと云う怠慢振りであった(証人合津輝嘉第六回公判速記録三-四枚目、八枚目)。

而も高坂が被告会社に行くのは決算期の頃二-三度のみで、平素は何の経理指導もしなかった。従って被告会社は株式会社であり乍ら白色申告であり、会社の主な帳簿としては金銭出納簿と工事台帳がある位で、伝票がないので仕訳はこれらの帳簿を見乍ら逆に行う有様であり、勘定振分けの誤謬などは年度末決算を組む時指導する程度であった。又各種勘定元帳の支出に付ても領収証との照合を全部に付て行って居らず、労務費の支出に付ても工事台帳の記載をそのまゝ正しいものとして取扱い何等のチエックもしなかった(証人高坂公二第六回公判速記録五枚目以下、二四枚目以下)。

3 殊に被告会社の受註工事は大町建設事務所を始め殆んど県の工事であって、本件事業年度の年間売上は約一億五千万円に達し、工事場所は常時一〇ケ所位、常傭人夫二〇名乃至二五名の外は前記勝家一族が無給で働いていた。会社は借入金がなく、一族が無給で働いていたから勢い剰余金の出ることが多かったが、この場合従来長年の慣行(所得標準率)に従って工事完成高(売上)の五%を法人所得とし、之に対する税金を納付すれば残りは無給で働いた勝家一娘の収入と考えその通り実行されていた。

税務署は従来三年に一度位経理の調査に来乍ら之に付て何等異議を唱えたり注意をしたことはなかったし、税理士も之に付て何等の指導もしなかった。従って剰余金が生じたときは被告人が之を同族の為預り預金を為し、必要の場合には被告会社の為に支出したこともあった。即ち会社の計理は所謂どんぶり勘定であって、会社の収益を知る者は誰も居なかったのである(証人勝野第七回公判速記録一八枚目以下。勝家速記録一九枚目以下。被告人第一五回公判速記録三枚目以下、一四枚目)。

4 右の実情に加えて被告人は計数に疎く、又大町市と北安曇郡地方に於ける同業他社に負けたくないと云う信念を有っていたので、常日頃同業他社(約四〇社)と比較して最高の税金を支払い度いと勝野と話していた。従って確定申告の際経理の報告を受けても、経理の内容に付ては何も云わず、所得率を質ねるに止め(証人高坂公二第六回公判速記録一五枚目)、同業他社に比し最高額の申告をする様に希望していたのである。(証人勝野第七回公判速記録二二枚目)。

5 従って被告人が被告会社の業務に関し法人税の一部を免れ様と企てる必要もなければ不正の行為に出ることもあり得ないのである。尤も勝家、勝野、被告人の各質問顛末書、検面調書中には右に反する供述記載があるが、これ等は何れも取調官の苛酷な取調の結果によるものであって信用性が薄く、証拠として採用すべからざるものである。即ち例えば、

イ 勝野に付て云えば、昭和四一年三月八日朝国税局の係官が会社に来て勝野の前に立つや「捜せ」と云って坐っている勝野を立たせて令状を示し、「お前達もう嘘を云っも駄目だからそのまゝにしておれ」と云って捜索を始めたが、当初より罪人扱いで勝野は拳銃を胸元に突付けられた思いで捜索を受けた。その後係官の取調が始まり勝野は真実を述べたところ全く耳を藉さず、物すごい剣幕でテーブルを叩き乍ら、「何云っているんだ、そんなこと云ったって全部ネタが上っているのだ」「今日駄目なら明日、明日駄目ならその次と何時迄も来るぞ。それで駄目なら東京へ引張ってゆく」と云って甚だしい威圧を加えた。勝野はそれでも三日間真実を訴えたが係官は依然として右の態度を繰返すし、勝野自身も気分が悪くなって了い、終に係官の一方的に作成した調書に署名押印せざるを得なかった。(勝野第一四回公判速記録一枚目以下、一三枚目以下)。

その後勝野は検察庁の取調を受けることになったが、この機会に再び真実を訴えた処、倉崎検事は「勝家建設の取調べはもう済んだ。税額も軽いし、起訴の理由もないが、税金さえ納付して呉れるなら起訴しないから、査察官の通りの調書の作成に同意してもらいたい」と云い、勝野は真実検察官の云う通りと思って不本意乍ら検面調書に署名印した(勝野第七回公判速記録三四枚目以下、四九枚目以下)。

ロ 又勝家に付て云えば、同人が検察官の取調を受けた際検察官から「国税局からこう云うふうに書いて来ているから国税局の云う通り調書にしなければいけない」と云われ、その内容が真実と相違していることを訴えて訂正を求めたところ、「今になって云われても困る。税金を納めれば起訴はしないから」と云われ、心ならずも検面調書に署名押印したものである。(勝家、第一五回公判速記録第二枚目以下)。

6 所謂架空支出と別途預金に付て

イ 被告会社の仕事は県の仕事が大部分であったから、売上は粉飾する余地のない会社である。而して会社は利益が出ても配当をせず被告人以下一族一〇名が給料もとらず働いていたのであるから剰余金の出ることは当然である。この場合剰余金を正式に給与、役員報酬として経費で支出し、個人所得税を納付して居れば問題はなかったのであるが、経理係として一切を委されていた勝野は完成工事高の五%を会社の収入とし之に対する法人税を納付すればよいとの従来の慣行に従い、その率による納税をしたあとは、残った金は勝家一族の給料と考えた。然し決算時にはその額が余りに多額になるのでこれを修正する為労務費の水増し、架空の材料費の領収書等を利用して辻褄を合せていたのである。このことに付て被告人は全く関知しなかったし、税理士も別に注意をしなかったのである。(証人勝野第七回公判速記録二五枚目以下。証人田中恒治第一三回公判速記録七枚目以下。証人吉江武範第八回公判速記録一四枚目以下。証人丸山隆久第九回公判速記録五枚目以下。証人原正四郎第一三回公判速記録三枚目以下。証人上条秀一第九回公判速記録二枚目以下、二二枚目。証人征矢野実第八回公判速記録四枚目以下。証人小山富司第八回公判速記録三枚目以下、七枚目、一四枚目)。

ロ 勝野は完成工事高の五%を収入とし、之に対する法人税を納付した後は残った金は勝家一族の給料と考えこれを別途預金とした。勝野はこれを銀行に預金する際銀行の勧めとお膳立に従い数口に分け且つ匿名としたが、これは会社の金を隠匿する為のものではなく、勝家一族が無給で働いたその報酬として一族の金を預金したものにすぎないのである(証人勝野第七回公判速記録二九枚目以下、第一四回公判速記録三枚目以下。勝家第一五回公判速記録第九枚目以下)。

7 被告人に法人税逋脱の意思のなかったことはその人物、経歴からも十分肯認される。同人が立志伝中の人物であることは前記の通りであるが、公職としては嘗て前隆郷村々会議員、同村青年団長、長野県建設業組合大町支部長をしたことがあり、本件当時は長野県交通安全協会池田支部長、長野県自家用車組合池田支部長であり、昭和四一年には紺綬褒賞を受けている。この様な人物が故意に法人税違反の罪を犯すと考えること自体が不合理と云わねばならない(被告人に対する大蔵事務官質問顛末書、昭和四二年三月二九日附)。

8 然るに原審は以上勝野の行った行為はすべて被告人の指示乃諒解の下に行われたとし、被告人が被告会社の業務に関し法人税の一部を免れようと企て不正の行為を行ったとの事実を認定したことは重大な事実の誤認であり、この誤認は判決に影響を及ぼすこと明らかである。須らく、原判決を破毀の上被告人等に対し無罪の判決を下される様要望する次第である。

以上

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